【蔵元インタビュー】天草酒造・熊本県の芋焼酎「池の露」を全国に!天草唯一の蔵元――平下豊さん

お酒はその地に住む人たちの生活や文化に密着した個性を持っています。1566年天草にキリスト教が伝来、1637年天草・島原の乱勃発……そんな歴史を刻む天草諸島は南蛮文化を感じられる地であり、独自の酒文化が根付いています。昭和初期に50件ほどの酒蔵が存在した熊本県天草地区。現在、唯一残っているのが天草酒造です。今回は天草市新和町の地域イベント「新和 de KANPAI」を取材した焼酎スタイリストyukikoさんが、「今、自分たちがやるべきことがある」と語る天草酒造 代表 平下豊さんの活動を紹介します。

【profile】 平下 豊 / Hirasita Yutaka
1977年 熊本県天草市生まれ。合名会社天草酒造 代表。東京農業大学を卒業後、天草に戻り1999年に蔵に入る。2001年(平成13年)より麦焼酎「特酎麦製天草」を東京の市場を中心に販売。焼酎ブームの波に合わせて原料の風味が生きた焼酎が着目されたことをきっかけに、2006年(平成18年)に26年ぶりに芋焼酎「池の露」を復活させる。天草市新和地区の若手で結成された地域貢献グループ「新和グッドカンパニーズ」の主要メンバー。

合名会社天草酒造
1899年(明治32年)創業。熊本県天草市に存在する唯一の酒造蔵。天草諸島が熊本・長崎・鹿児島の3県の文化が混ざり合う地理的環境から、創業当時は芋焼酎蔵としてスタート。鹿児島県の長島地区から杜氏を迎え、船でさつま芋を運んで芋焼酎を製造していた。熊本県の焼酎といえば人吉市と球磨群を指す球磨地区で製造される米焼酎(球磨焼酎)が有名だが、天草諸島は地域が異なるため熊本県内でも独自の焼酎文化が存在する。

〒863-0101熊本県天草市新和町小宮地11808
[アクセス]福岡空港または熊本空港から天草空港へ。空港から車で約1時間。
(福岡空港の発着が多い)

熊本、長崎、鹿児島の文化が融合する天草市。唯一の蔵元、天草酒造の魅力に迫る

天草酒造の蔵から眺める景色。この穏やかな地を訪れると、美味しい焼酎と海の幸が1年を通して味わえる。

(yukiko)まずは、天草酒造について説明をお願いします。

(平下さん)1899年(明治32年)創業、熊本県天草地区に蔵を構えていて、芋・米・麦を原料にした焼酎を造っています。天草は北に有明海、東から南東にかけて八代海、西から南西にかけて東シナ海の天草灘に囲まれる地域です。そのため熊本県でありながら、長崎県の文化、そして海の先に鹿児島県長島や獅子島が見える立地によって鹿児島文化の影響も受けています。

「天草」という地は日本の歴史にも登場する地名ですから、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。天草は1566年にキリスト教が伝来し、1637年に天草・島原の乱が起こった場所です。その影響が今も残っているので当時の南蛮文化を感じてもらうことができます。

﨑津天主堂など南蛮文化が伝わった当時の様子が分かる建造物も。歴史とのどかな自然が共存している。

(yukiko)3県の文化が融合されているため、同じ熊本県でも人吉地区の球磨焼酎(米焼酎)とは違った歩みをみせていますよね。

(平下さん)そうですね。それもあって熊本県の人吉・球磨地区で造られる米焼酎は“球磨焼酎”という産地呼称で有名ですが、うちはその地区ではないので球磨焼酎には属していません。

天草酒造では米焼酎「天草」の他にも芋焼酎「池の露」や麦焼酎「特酎麦製天草」などを製造しています。もともと海に囲まれた漁師町で、漁師が毎日気軽にお酒を飲めるよう安価でがぶ飲みするのに適した甲類焼酎が浸透している地でした。そこから、地元でも少しずつ天草酒造の焼酎を広めていった経緯があります。鹿児島県との流通経路が確立されていたため、今でも地元の方は、米焼酎の他にも芋焼酎を好んで飲む方も多いんですよ。

(yukiko)お酒の文化は地理的環境も影響しているため、そういう部分から様々な銘柄に関心を持つのも面白いですよね。ぜひとも読者の皆さんには、熊本県の焼酎には天草諸島で造られている本格焼酎もあるのだということを知ってもらいたいですね。色々と飲み比べるとお酒の楽しさが広がると思います。

(平下さん)そうですね。自分たちも「天草」という地をもっと皆さんに興味を持ってもらえるように、現在積極的に活動しています。

地域活性イベント「新和 de KANPAI」で活躍!「新和グッドカンパニーズ」とは?

(yukiko)4月の地域イベント「新和 de KANPAI」は天草をPRするために開催されたものですよね。

(平下さん)そうです。「新和 de KANPAI」の会場は天草酒造の敷地を使用していますが、芋焼酎「池の露」にスポットが当たりすぎるのではなくて、あくまでイベントに集まる“きっかけ”になってくれたらと思って場所提供をしました。まずは、天草の地域の皆さんがイベントに関わることによって縁を広げてほしいんです。

うちの蔵は300~350石くらいで、どちらかというと小規模経営。ひとつひとつ手造りで行っているので、急激に製造や販売の規模を増やす力が十分にあるわけではありません。でも、焼酎をきっかけに蔵の周りに県内外の方々が集まってくれて、実際に天草市新和地区の雰囲気を感じ取ったり、地元の皆さんと交流が持てる場として提供できたら、焼酎を単に製造・販売するだけではない地域貢献になるのかな、と。

芋焼酎「池の露」もおかげさまで東京をはじめとする首都圏で広まるようになり、エンドユーザーの皆さんから認めてもらえるようになりました。このイベントに参加する一人としては「田舎だからできることを」という気持ちがありますし、企画運営している「新和グッドカンパニーズ」のメンバーもそういう気持ちで取り組んでいますね。

「新和グッドカンパニーズ」のメンバー。地元企業や店舗、生産者などで構成されている。

(yukiko)私もイベント前日の準備から取材をさせてもらっていて、「新和グッドカンパニーズ」をはじめとする地元の皆さんの“自主性”が素晴らしいと感じました。当日を迎えるのが楽しみでワクワクした表情をたくさん見られました。

(平下さん)そうなんですよね。私より下の世代も積極的です。その分、自分として気をつけたのは、あくまで天草酒造はイベントの開催場所であって、皆さんが弊社の蔵開きの手伝いにならないようにしたことです。ちゃんと「町おこしイベント」になるようにしたいなと。

(yukiko)「新和グッドカンパニーズ」の発足経緯を教えてもらえますか?

(平下さん)天草市では6年ほど前から「河浦青年同好会」「牛深GNK」という地域団体が活動していました。これは商工会や役場ではない、いち民間の人たちが町おこしになるようなことをしようと集まった組織です。

当時の私は「みんなで集まって何かをするより、自分は自分でできることをすればいい」と思っていました。でも、3年くらい前に心境の変化があって「自分にできることがあるなら、もっと積極的にやっていかなければ」と意識するようになりました。

「河浦青年同好会」「牛深GNK」のメンバーに会った時に、「そう考えるなら、新和町はあなたが音頭を取って動かないと。人任せにしても、何も変わらないよ」と助言がありました。ちょうど新和地区に在住する仲間も同じような気持ちをいだいていたらしく、声をかけたら集まってくれたんです。

それを機会に2年くらい前から新和町でも「河浦青年同好会」「牛深GNK」に負けないような活動をしていこうと、有志で活動する「新和グッドカンパニーズ」が発足しました。活動拠点となる場所も必要になりますので、天草酒造の敷地を提供しました。地酒を活用して天草をPRするのは「新和グッドカンパニーズ」しかできないことですし、新和町の特色を打ち出して活動しています。

(yukiko)具体的にどのような活動をされていますか?

(平下さん)去年の活動でいうなら、第1回目の「新和 de KANPAI」を開催したり、夏休みに近くの海水浴場で海の家をオープンさせたり。秋には老人ホームがもともと行っていた地域イベントにお手伝いとして自分たちが入って、竹灯籠で飾り付けをして飲食店を出しました。天草市新和町のロケーションを活かして地元をPRするよう意識しています。

(yukiko)地域イベント「新和 de KANPAI」は、全国で同じように地域活性を目指す人たちの良い参考になるイベントだと思います。「新和グッドカンパニーズ」がイベントを企画運営するにあたり、大事にしたことは何ですか?

(平下さん)イベントをすることが目的になってはいけないということですね。本当に自分たちがやりたいことって、イベントをすることがゴールなのではなくて、イベントがきっかけになって仲間を増やしたり、地元企業とコラボ商品を作るなど発展性がなければいけないと思うんです。今回の「新和 de KANPAI」は、地域を活性化させるための通過点。だから、関わる自分たちも成長できる場にしていきたいですね。

うちが消えたら“天草を語る酒”が消える――現実に直面し、方向転換をした30代

(yukiko)先ほど話されていた、3年くらい前の”心境の変化”とはどのようなことですか?

(平下さん)正直、焼酎の仕事だけしっかり行っておけば良いと思っていたんです。自分が35歳になって 今まで父がリードしてきた天草酒造を引き継ぐことになりました。その時に「もう少し売る努力、皆さんに伝える努力をしたほうがいいな」と感じて。不思議なことに、自分が動き出すと自然と地元での縁も広がっていって、自分よりも若い世代に突き動かされることも多くなりました。

自分の年齢やキャリアって「自分のことだけではなくて、地域に貢献できることは何だろうと考える立場なんだな」と自覚が芽生えました。全国的にも地方はどんどん過疎化が進んでいますし、新和町って天草市のなかでも限界集落なんです。私の子どもたちが小学校に通学するためには、毎日バスに乗っていかなければいけません。

私は酒づくりをするために好きでこの地に住んでいますが、このままでは自分の子どもたちが家庭を持とうとする10年後、20年後には何もないのでは……と強い危機感を覚えたんです。

すべての新和町の人たちを救うことはできないけれども、同じ意識を持った人たちと今から取り組んでおくことによって、何かが変わるのではないかと。「新和グッドカンパニーズ」はそういう想いで活動しています。

(yukiko)平下さんの心を動かしたのは、やはり危機感ですか。

(平下さん)完全に、その部分ですね。自分が会社の代表になることで心境も変わりましたし、焼酎の仕事も10年くらい取り組んで結果が見えてくるものなので、今からちゃんと先を見据えて行動しようと意識が強まりました。そうやって行動していくと、同じベクトルの人たちと出会うことも増えてくるんですよね。

今回「新和 de KANPAI」に集まってくれた蔵元たちとの縁も、その頃から始まりました。それまでは全国で行われている試飲会に参加しても、他の蔵とはほとんど接点を持たない異色の存在。仕事が終わって飲みに行くこともほとんどしていなくて、毎日が蔵と自宅の往復だけ(笑)。

(yukiko)そんな頃があったとは、今の平下さんのキャラクターからは考えられないですね(笑)。

(平下さん)そうかもしれませんね。29歳で「池の露」を復活させた時に父(現会長)が造りに関してすべてを任せてくれていたので、とにかく試行錯誤だったんです。色々な蔵を見て参考にするよりも毎年自分の手でレベルアップさせて、この土地に合った焼酎を造ればいいかなと思っていたので、10年はがむしゃらにやろう、と。

10年計画のように、30代は復活させた「池の露」を無我夢中で育てて、40代で「新和グッドカンパニーズ」のような取り組みができたらと構想していました。

ところが、過疎化が進行する地元を肌で感じたり、未来を託す子どもたちのことを考えたら10年も待てなくて。35,6歳くらいから「今から種を蒔いておかなくては」と危機感と使命感が湧いてきました。

今では、下の若い世代と一緒に活動することもあるので年齢的には“兄さん”みたいな立ち位置ですが、自分自身も仲間から刺激を受けています。

天草ブランドを追求する――“天草唯一”が強みとなる酒造蔵へ

「新和 de KANPAI」に登場した芋焼酎「池の露 安納芋」「池の露 古酒」

(yukiko)これから天草酒造として、どのようなことを大事にしていきたいですか?

(平下さん)蔵って独自路線というか、オリジナル性があるものだと思っています。例えば、芋焼酎といえば鹿児島県のイメージが強いけれども、熊本県天草市で造る芋焼酎に独自性があり、意味があると考えているんです。

うちの代表銘柄である芋焼酎「池の露」は、鹿児島の芋焼酎と味わいが異なって当たり前ですし、自分自身も鹿児島の芋焼酎に寄せようと考えてもいません。芋焼酎「池の露」って、もっとローカルで、この風景が思い浮かぶような独自性があっていい。

「新和 de KANPAI」イベントでは、定番の芋焼酎「池の露」(写真左)をはじめとする「池の露」各種が購入可能。自宅でも楽しみたいと参加者から大変好評だったそう。

(yukiko)天草酒造の芋焼酎「池の露」は、ラベルのデザインも“ローカル”な部分を出していますよね。

(平下さん)そうですね。レギュラー酒の「池の露」は、天草酒造のこの蔵から見える朝日を描いたものです。ラベルのイメージ通り、“ローカル”を突き詰めていければ、と。

よく冗談半分で「早く東京など県外に出張をしなくてもいい蔵元になりたい」と語っているんです(笑)。1年を通して、ずっと新和地区で焼酎造りに専念していて、うちの焼酎を「飲んでみたい、ほしい」と言ってくれた人がこの地に足を運んで下さることが理想なんです。

東京に行って私が100回天草のことを語るよりも、興味を持ってくれて蔵に来てくれるほうがうちの焼酎について深く理解してもらえると思っています。県内外から来ていただけたら天草のまちも活性化します。地域のみんなが喜びます。

そのためにも、より一層、天草酒造そして芋焼酎「池の露」の魅力を伝えていかないと、天草市の下部に位置する新和町まで来てくれるというのは難しいと思うんですよね。

(yukiko)天草には福岡空港や熊本空港から在来線を使用するか、天草エアラインで天草空港を利用して来ることができますよね。南蛮文化を感じながらのんびり旅行するのにもとても良い場所だと感じました。観光化しすぎていないので、地元の方々の生活が感じ取れるのも魅力だと思います。

(平下さん)これからは、もっと全国の皆さんに来てもらえるような魅力ある蔵でなければいけないと思うんです。年間を通して気候の良い場所でもありますし、田舎の穏やかな感じも伝えていきたいですね。

(yukiko)数日間、私も滞在してみて天草の良さを感じる経験をしました。例えば、天草の皆さんは誰とでも「こんにちは」と挨拶をして下さいます。よく私が携わっている一般企業の研修でも「挨拶はコミュニケーションの始まり」と伝えていますが、この地では自然と挨拶をする習慣が根付いているという印象を受けました。

蔵の方だけではなく、地域住民の皆さんがちゃんと目を合わせて笑顔で挨拶して下さいます。挨拶は当たり前のことと解釈されるかもしれませんが、初めて天草を訪れる人にとっては安心感があって地域に馴染みやすい環境です。これは天草地区の強みだと思います。

(平下さん)嬉しいですね。やはり、皆さんから足を運んでもらえるような地でありたいですし、強烈な蔵元になりたいですね。そういった特色をもっともっと出していきたいです。焼酎を売るということに関しても、簡単なことではないので、もっと頑張らなくてはと思います。

(yukiko)酒造業界に限ったことではありませんが、これからは、生産者や製造側が単に商品を造っていればいいという時代ではなくなってきました。造り手も自分の言葉で語らなければいけない。他の蔵、他のお酒との違いを明確にしていかなければいけません。伝統文化産業も“生き残り”をかけていく必要があります。

そのために何をしたらいいのか……その意識をもって活動している人たちを、焼酎スタイリストとして積極的に応援していけたらと考えています。皆さんの”ブランドづくり”を様々な角度からお手伝いできたら私も嬉しいです。

(平下さん)全国の皆さんに、天草そして天草酒造についてもっと興味を持ってもらいたいですね。

天草酒造が動き出す時、みんなから注目してもらえる蔵に

(yukiko)今後のビジョンはありますか?

(平下さん)熊本県天草で生産された芋焼酎「池の露」というブランドをもっと広めていきたいですね。自分が復活させた本格焼酎なので特別な想いがあります。そして、「天草酒造が何か動き出したぞ、面白そうだ」と注目されるような焼酎蔵になりたいです。

20年前まで天草酒造の米焼酎「天草」は95%が島内流通でした。ところが焼酎ブームの頃になると、米焼酎「天草」の天草諸島内の消費量は減っていて、逆に東京では麦焼酎の減圧蒸留「特酎麦製天草」が売れている現実。自分の中では天草の人たちに馴染みがあり、蔵の歴史を表す“手造りの芋焼酎を造りたい”という想いもあったので、それを叶えるために芋焼酎「池の露」を復活させたんです。

だから、多くの皆さんに芋焼酎「池の露」を飲んでいただいてファンになってほしい。そして、私たち蔵元も「池の露」がつないでくれた皆さんとの縁を大事にしたいです。

お客様だから、仕入れ業者だからという立場関係なく、皆さんが個人レベルで「天草酒造っていいよね」「池の露を造る蔵元っていつも興味深いことをやっているよね」って期待してもらえる魅力を持っていたいですね。

天草酒造は決して大きな企業でも蔵でもないのですが、天草地区唯一の蔵元として「天草酒造と関わって良かった」と皆さんにプラスの気持ちを届けられる焼酎蔵でありたいと思います。

(yukiko)平下さん、ありがとうございました。

 

[取材・撮影・文・構成] yukiko(ユキコ / 焼酎スタイリスト、ファッションスタイリスト)
[協力] 合名会社天草酒造、色彩総合プロデュース「スタイル プロモーション」
※写真の無断転用、二次使用はお断り致しております。ご理解ご協力のほど宜しくお願い致します。

 

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