【蔵元インタビュー】小牧醸造・鹿児島県 / 本格焼酎とともに生きる次のステージへ――小牧伊勢吉さん

2006年7月の洪水で蔵が水没。受け継がれてきた蔵の伝統も幼少期の家族写真も、何ひとつ残っていない現実に直面して、自分の人生が大きく変わったと語る小牧醸造株式会社 小牧伊勢吉さん。逆境から社員一丸となって前進し続けてきた焼酎蔵は、今、新たなステージを迎えています。杜氏として、名跡「伊勢吉」襲名について……節目の年だからこそ今聞いておきたい等身大のコメント。焼酎スタイリストyukikoさんとのテンポの良い本音トークにもご注目下さい。

【profile】 小牧 伊勢吉 / Isekichi Komaki
1978年生まれ。鹿児島県薩摩郡さつま町出身。小牧醸造株式会社 専務取締役 兼 杜氏。旧名 小牧尚徳(ひさのり)。川内高等学校を経て東京での生活後、2000年より蔵に戻る。2006年の水害をきっかけに、2009年より五代目社長を務める兄・一徳氏とともに芋焼酎「一尚」を発売。2011年、専務取締役に就任。2016年より杜氏として製造部門も担当し、2017年4月に三代目「小牧伊勢吉」を襲名。

小牧醸造株式会社
1909年(明治42年)創業。代表銘柄「小牧」「紅小牧」「一尚 シルバー」「一尚ブロンズ」。
鹿児島県薩摩郡さつま町にある酒造蔵。蔵の裏手にある一級河川・川内川は746年(天平18年)から度重なる氾濫によって流域に大きな水害をもたらす。2006年(平成18年)7月には、3度目の水害被害により蔵が水没。全国から支援を得て3か月で製造が再開。創業100周年を迎えた2009年より芋焼酎「一尚」(いっしょう)発売。

〒895-1816 鹿児島県薩摩郡さつま町時吉12
[アクセス]JR川内駅から車で40分 または 鹿児島空港から車で45分

今年4月、名跡「伊勢吉」を襲名――更なるステージへ


(yukiko)焼酎業界は、ここ3年間で蔵元や酒販店、飲食店の取り組みがとても積極的になってきていますよね。御社はいかがですか?

(小牧さん)ありがたいことに、この不景気の中、順調に売り上げを伸ばしています。営業や広報的な役割を担うようになってから着々と会社の知名度も上がってきました。

(yukiko)今までは御社の営業的な役割を主に担っていましたが、昨年から製造責任者である杜氏に着任して焼酎造りにも重きを置いていますよね。蔵元としてひとつの節目にあたるような1年だったのでは?

(小牧さん)そうですね、昨年は杜氏として8月から造りを始めて12月までの5か月間は蔵に籠っていました。残りの7カ月間は営業期間にあたるので、今までのように営業兼広報を担っていて、自分が外に出ている日は他の社員が蔵で瓶詰めなど製品加工を担当してくれています。

(yukiko)昨年、取材である飲食店に伺った時に、偶然私は2009年に書かれた色紙を見ました。そこには、小牧さんの字ですでに「小牧伊勢吉」って書いてあって、お店の大将と「この時期から彼は“伊勢吉”という名前を襲名することを意識していたのかな?」と話していたんです。

実際に旧名「小牧尚徳」から、先祖代々受け継がれている名跡「小牧伊勢吉」を襲名したのは今年4月ですよね。襲名については、9年前から決まっていたんですか?

(小牧さん)いや、決まってはいませんでした。むしろ、その頃から社内の人たちには「いずれ伊勢吉を継ぎたいな」と言っていたんです。

(yukiko)初代の名前を受け継いでいるんですよね。やっぱりその名前って、小牧さんにとって特別ですか?

(小牧さん)父も受け継いだ、代々受け継がれている名前です。兄は蔵に戻っていた当時から名前を継がないと話していたので、「だったら僕が継ごうかな」っていう具合です。それほど難しい話ではなくて、自分の中ではいつの時代にも「伊勢吉」という存在が居続けるのは素晴らしいことなのではないかと思って。そして、途中で途絶えるのも悲しいよね、という想いもあったんです。

(yukiko)私は酒造蔵の子どもとして生まれ育っているわけではないから、先祖代々の名前を受け継ぐとか身近なイメージが湧かないけれど……酒造蔵だと、このようなことがあるんですね。

(小牧さん)こういう継続性ってなかなか普通の企業では出来ないことだし、昔からある蔵だからこそ出来ることだなと思っています。

(yukiko)歌舞伎界のように、酒造蔵も名前を継承していく文化があるんですね。

(小牧さん)そうですね、今では全国約1100軒 ほどの焼酎蔵の中でも襲名している蔵は限られています。うちの蔵の場合、独自のしきたりがあるわけではないので、分かりやすく言うなら、両親からいただいた名前を変えてもいいかという判断だけです。

2009年に創業100周年を迎えた時、実は内部では「伊勢吉は僕が継ぎます」って話がついていました。2008年までは兄弟で営業を行っていたけれども、その時を機に会社の組織も変更しました。2009年をきっかけに父が会長、兄が社長に就任し経営面から蔵を守る側になって、自分が営業と広報を担当するようになったんです。

(yukiko)その当時に書かれていた色紙を、昨年私は偶然にも見ていたんですね(笑)。では、昨年から杜氏に着任したり、今年4月から正式に三代目「伊勢吉」を襲名して、今までと変わった部分はありますか?

(小牧さん)小牧醸造という会社をもっと育てていきたいという自分なりの決意でもあるから、これからは自分一人がスキルを上げるのではなくて、蔵人みんなのスキルを上げたいと考えているところです。焼酎造りの期間はみんなで造りを極めていって、営業期になったら蔵人も外に出て、お客さまが今何を考えているのか新鮮なリアリティを感じて吸収してほしい。

(yukiko)組織として強くなるためには、個々の能力を上げる必要がありますからね。まさに、御社はその時期。今まで以上に蔵人の皆さんが色々なイベントに出たり、メディア取材を受けたり、今後はそういうシーンをたくさん見てみたいですね。

……ということは、小牧さんが表に出る機会は減っていくということでは?(笑)。

(小牧さん)そうそう、それが理想です。(笑)

(yukiko)そういう意味では、この取材は、またとないタイミングで話を伺っていますね。

(小牧さん)そうですね。ちょうど変わり目のタイミングかも。

雨ニモマケズ、風ニモマケズ、洪水ニモマケズ

創業当時から小牧醸造の人々を見守る石蔵。春には青々しい蔦によって美しい景観に

(yukiko)小牧醸造の歴史、そして小牧さんご自身の人生のなかで2006年7月に起こった洪水は大きな転機になったと思います。「焼酎&泡盛スタイル」読者の皆さんに、当時の様子をお聞かせいただけますか?

(小牧さん)2006年7月の集中豪雨で蔵の裏にある川内川が氾濫し、蔵が水没しました。焼酎を造るために必要な麹菌やもろみ、製品となった焼酎もすべて流れてしまいました。焼酎を貯蔵するタンクも横倒れになり、甕つぼや床一面が汚泥だらけ。当時は焼酎ブームの真っただ中なのに、取引先データも手元に残っていなくて、焼酎を造って売る環境が一瞬にしてなくなった。

蔵の伝統として受け継がれてきたものが何も残っていない現実に直面して、たとえ100年以上の歴史があっても「蔵って簡単に潰れてしまうものなんだ」と。「もう終わった……」と呆然としました。

数日後、父と兄と蔵を再建させようと決めてからは、とにかくがむしゃらだった。

本当にありがたいことに全国から焼酎ファンやボランティアの方が集まって下さったり、義援金を送って下さったり……3か月程度で製造を再開できるようになりました。ただ、取引先のデータがないから、造った焼酎をどこに売っていいのか営業の仕方も分からない。色々な人たちに教わりながら、最初は21件の取引先からスタートしました。ある程度の営業状況に戻すためには3年くらいかかりましたね。

(yukiko)その頃、小牧さんの心の支えになったものは何でしたか?

(小牧さん)皆さんから助けていただいたことによって、「この人たちのために焼酎造りをしていこう」と気付けたことが一番大きかったし、先代たちの思想から学んだことも大きい。そして、小牧醸造の蔵人が同じ志を持って、自分たちの精神をぶらさずに表現し続けることが大事だと気付いた。

お客さまも含めて取り巻くすべての人と、一生ともに寄り添う……そのような想いを込めて発売したのが、2009年に兄弟の名前をとって名付けた芋焼酎「一尚」です。2009年発売「一尚 シルバー」、2010年発売「一尚 ブロンズ」

(yukiko)現在、焼酎業界は次に訪れるであろうブームに向けて力を注いでいますよね。前回の焼酎ブーム(2004年頃ピーク)のようにいくら人気になっても、単に“飲む“という消費行動で終わってしまったり、造りの質が下がってしまったり、需要と供給のバランスが崩れてしまっては本末転倒ですよね。

(小牧さん)そうですね。結局、それが一番価値を下げることになってしまう。造り手の立場としては、一人でも多くの方に焼酎を届けたいし、うちの蔵を気に入って美味しく飲んでいただけたらとても嬉しい。

(yukiko)ブームや流行には必ずサイクルがあります。小牧さんは、次に訪れる焼酎ブームについてはどのように考えていますか?

(小牧さん)前回の焼酎ブームは、全国の人たちが地方で飲まれていた焼酎というお酒の存在を知ったことによって火がついたけれども、今は全国に根付いてみんなが焼酎を知っている時代。だから、うねりがあったとしても前回とは違った動きを見せるだろうし、それとは関係なく、まずは小牧醸造として自分たちのうねりを創れたらと思っています。

未来を見据えて――求められる姿、本来の姿


(yukiko)私が「焼酎スタイリスト」として皆さんと一緒に活動して3年が経ちます。当時と比べると、業界も蔵元さんたちも動きや発言に変化が見られるなと実感しているのですが、小牧さん自身は、この3年間をどのように捉えていますか?

(小牧さん)3年経っても変わらないのは、「頑張ったかな」と思っていても、まだまだ自分の周りに凄い人たちがたくさんいるな、と。

(yukiko)自分としては、今後どのようになりたいとかイメージを持っていますか?

(小牧さん)それが、全然分からないんだよね……(笑)。基本、自分の性格としては“表に出たくない人”。どちらかというと影のナンバー2みたいな。

(yukiko)私もこの3年間で「かごしま芋焼酎コミュニティイベント」や色々な焼酎イベントでご一緒することがありますが、本当は、小牧さんは選挙参謀みたいに後ろで構えている方が好きなタイプですよね(笑)。

表参道エリアで開催「かごしま芋焼酎コミュニティイベント」にて。蔵元の皆さんと焼酎スタイリストyukiko

(小牧さん)そうそう、暗躍する方が好き。そもそも前に出て神輿に乗るタイプではない。うちの会社でも、今までは立場的なものもあって自分が営業や広報を担っていたけれども、総力を上げるためにも社員に力をつけてもらいたいし、人前で語れて自己表現できる人たちが増えたらいいなと。

幸いなことに、うちの蔵人はみんなエースで4番級の人たちが集まってるので、これからは蔵人の活躍も着目してもらえたら嬉しいですね。

(yukiko)鹿児島の蔵元としても、焼酎業界全体としても、若手でそういう人たちが増えるまでは、もうしばらく先陣に立つ場面も出てくるかもしれませんけどね(笑)。

(小牧さん)そうなったとしても……実際の僕はそうじゃない(笑)。

(yukiko)……そうですね(笑)。小牧さんたちの年代は層の厚いゴールデンエイジだけれど、これからはその次の世代、さらに次の世代と、業界の未来を牽引する若手蔵元の皆さんの活躍の場が増えたらいいですよね。私もそういう皆さんの飛躍を取材したいですし。

では、この3年間で変わったことはありますか?

(小牧さん)この3年間で思ったのは、“人は人”という考え方。3年くらい前までは、うちだけが一生懸命やっても焼酎の次のステージは見えないのではと思っていた。だからみんなでイベントをやろう、若手で集まろうと持ち掛けていた。

でも実際にやっていくうちに「それは、なんか違うな」と、自分なりの答えが見えてきた。集合体で足並みをそろえるのではなくて、まずは個の力、自分の蔵の力をしっかりつけて、突き抜けないといけないのではないかと。

だから、同じ業界の人たちと一緒に何かやるなら、同じペースと似たような感性を持っていて、自分の事は自分でやる人かな。人任せでは先へ進めない。ちゃんと自分の力で前進しないと、”未来”は変えられないから。

キーワードは「古き良きもの」。原点と向き合い、焼酎の世界を発展させていく


(yukiko)小牧醸造の銘柄が、昨年からラベルデザインをリニューアルしていますよね。

(小牧さん)2016年12月に「紅小牧」、今年4月から「一尚」シルバー、ブロンズもリニューアルして、デザインを統一しています。

(yukiko)数年前、私が初めて旧デザインの「一尚」 を見た時、「この蔵の人たちが次のステージに上がる時に、この焼酎ラベルはモデルチェンジをするだろうな。早ければ3年から5年後」と分析していたんです。小牧さんとの接点もまだなくて、本当にリニューアルするかなんて誰も分からない頃だけれど、不思議と色彩デザインから感じ取っていました。

だから、自分が読み取った色彩情報が正しいのか検証してみたかったし、3~5年後にその機会がやって来るのかずっと興味がありました。

そして、実際にリニューアルを迎えた頃、蔵がどのように進化しているのか、ちゃんとこの目で確かめたかった。もしも実現していたなら、こうやって直接話を聞きたかったんですよね。

……それを踏まえて、お聞きします。この新しいラベルに込めた想いとは?

左から「一尚 シルバー」「一尚 ブロンズ」「紅小牧」の新しいラベルデザイン。炭酸割りも楽しめる

(小牧さん)小牧家の家紋がやはり私たちのアイデンティティなので、それをデフォルメしました。鹿児島県の焼酎蔵の象徴とも言える”さつま芋”に太陽が昇る というイメージで、さらなる高みに向かっていきたいという意味を込めています。今までは「小牧」「一尚」「伊勢吉どん」などラベルに会社としての統一感がなかったので、今後は整合性を持っていくために変えています。

(yukiko)そういう案は誰から出てくるんですか?

(小牧さん)それは、僕(笑)。もちろん社員みんなにも聞くけれど、うちの蔵は「見たことのないもの、世界を構築していこう」という考えで取り組んでいるから。

(yukiko)それは焼酎業界の……ということですか?

(小牧さん)いや、酒類業界という大きな枠のなかで。焼酎蔵も日本酒蔵も何十年、何百年と続いている蔵だから、伝統文化や作法に重きを置きすぎると、得てして今の時代からどんどん歪曲してしまう。だから受け継がれてきたものにこだわりすぎずに、良いと思うものは伝承していけばいい。そのひとつが、これ。

(yukiko)このハンカチは、どこで売っているのですか?

(小牧さん)うちの蔵で売っている(笑)。

(yukiko)もし欲しい方がいたら?

(小牧さん)うちの蔵で売っている(笑)。

(yukiko)(笑)!

(小牧さん)このハンカチを広げた時に、それぞれのイラストを見て「これ、何?」と気になってもらえばいい。うちの蔵に来ると、ここに載っているイラストの全てのものが蔵にある……というように、すべてリンクさせていきたい。身近にあるハンカチだったり焼酎グラスだったり。

(yukiko)「小牧ブランド」を創る、ということですね。

(小牧さん)そうそう、小牧醸造の世界を創っていくってこと。自分たち世代のポップな世界観が入ったレトロモダンなテイスト。「古いけれど、新しい」っていう延長でブランディングしていきたい。

(yukiko)ちなみに、“古いもの”“レトロ”は、どの時代を意識して選択しているのですか?

(小牧さん)創業当時。その時の漠然としたノスタルジー。

(yukiko)小牧さんが“ノスタルジー”にこだわる理由は?

(小牧さん)焼酎ってやっぱり“ローカル”の古き良きもの。日本の田園風景だったり、農業と関係していたり。でもそれが“古臭い”とか“ダサい”のではなくて“カッコいい”という転換をしていきたいな、と。実際にやってることは、カッコいいと思っているしね。昨年、制服を切り替えたのも、その理由からきています。

(yukiko)制服は1900年代初期に起こったイギリスの産業革命をモチーフにしていますよね。なぜ、その時代に焦点を当てているのですか?

(小牧さん)小牧醸造が1909年創業ということもあって、当時のイメージを大事にしたかった。産業革命によって発達した蒸留技術がイギリスから日本に入ってきた頃でもあり、日本の焼酎製造もこれがきっかけで飛躍的な発展をしていったんです。伝統文化産業に携わる焼酎蔵として、自分たちの歴史や原点を大事にしていきたいから。

(yukiko)では最後に……杜氏として、「三代目 小牧伊勢吉」として、社長や蔵の皆さんと一緒にこれから小牧醸造をどのような蔵にしていきたいですか?

(小牧さん)私たちだけではなくて蔵に関わる人やその家族に「小牧の蔵ってカッコいいよね」と言われるような蔵でありたい。地元の人たちに、うちの蔵がまちにあることを誇りに思ってもらえる蔵であれたら嬉しいです。

そして、全国の皆さんがさつま町に遊びに来てもらえるような企業体でありたい。さつま町が全国に知られるきっかけとなるように小牧醸造という蔵を成長させたいし、小牧醸造の焼酎が生まれ育った地をもっと多くの人に感じてほしい。今後は、焼酎を通して地元活性につながる取り組みも考えていきたいですね。

(yukiko)小牧さん、ありがとうございました。

特別編!蔵元と焼酎スタイリスト、それぞれのイメージは?

蔵元と焼酎スタイリストyukikoさんそれぞれに、お互いのイメージを聞いてみました。信頼しているからこそのコメント続出!?互いの個性がわかるコメントです。

■蔵元:小牧さん→「焼酎スタイリストyukiko」のイメージとは?

(小牧さん)イーブンな関係で蔵元との関係を捉えている人。プロ意識で仕事をするから、良くも悪くもうるさい(笑)。

■焼酎スタイリストyukiko→「蔵元:小牧さん」のイメージとは?

(yukiko)骨太。いい意味で、泥臭い。……って言ったらイメージを壊すことになるのかな?(笑)

 

[取材・撮影・文・構成] yukiko(ユキコ / 焼酎スタイリスト、ファッションスタイリスト)
[協力] 小牧醸造株式会社、色彩総合プロデュース「スタイル プロモーション」
※写真の無断転用、二次使用はお断り致しております。ご理解ご協力のほど宜しくお願い致します。

 

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